2012年10月19日金曜日
連続性の哲学的原理=地蔵スタイル
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昨今、非常に珍しい現象に遭遇、いわく、客演本番中に思いっきり携帯を鳴らされし現実。
しかも音楽的リリシズムの極地の場面、その上、連続2台継続鳴りとは、最早わたしは何か持ってますね。
プロですから演奏には支障は無かったものの、おかげでパート譜の三段は全く覚えていません。
優しさ溢れる己の心は、鳴らした二名の微動だにしない「哲学」に敬意すら覚えました。
確かに仮に静止しようと試みた暁には全聴衆に醜態を晒す事になりかねません。
ならば微動だにせずにおこうと思った事でしょう。地蔵スタイル、とでも言うか。
私のその刹那の想像は次の通りです。
夕食時、子供が帰宅したが夕食がない!冷蔵庫にない!そうだ電話で聞こうと。
①ママにかけた、が出ない。ならばすぐパパに。
②パパにかけた、が出ない。しゃ~ないな~。
③現場で電源を切り忘れていたパパママは硬直状態。
どうやら時代は次のセクションに入りましたね。
要するに、携帯を切るという行為すら忘れるに至ったという。
勿論お二人には悪気は無いことでしょう。
昔は「そうそう携帯切っとこ!」という概念と倫理がありましたが、
もうその概念が危うい。かえってお気の毒でしたわそのお二人。
演目が「古時計」だっただけに、めざまし時計の効果音と思って難曲の難局をなんなく乗り切りましたが、存外拝聴側に回った時にやりそうなので皆さんご注意あれ!
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