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5月に発売になるAKP(秋山木村プロジェクト)の今後の楽曲選定、研究も兼ねて、
森麻季さんのCDを購入したのですが、
東日本大震災NHK応援ソングである「花は咲く」のある部分に、確実に、
携帯のバイブ音が数回はいっているのを発見!! (3分40秒前後)
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2013年4月29日月曜日
2013年4月26日金曜日
春のリコーダーフェア
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大阪のリコーダーのホットスポットと言えば、アンリュウリコーダーギャラリーですが、
四月末からフェアを開催されます(敬語)。
四月末からフェアが開催されます(告知文型)。
リコーダー世界の底上げに奔走されているギャラリー側のスタッフの皆さんには
奏者としても毎度頭が下がります。
指導者はまだしも、プロの奏者とは存外無力なもんです。
最近、お邪魔する時に、そのプランニングや準備は勿論、最新の譜面やレアな楽器は
確認しています。常に新しいのが魅力ですね。乗り遅れそうです。
是非、お出かけになって下さい。
アンリュウリコーダーギャラリー・フェア
http://www.a-rg.jp/info.php#in35
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大阪のリコーダーのホットスポットと言えば、アンリュウリコーダーギャラリーですが、
四月末からフェアを開催されます(敬語)。
四月末からフェアが開催されます(告知文型)。
リコーダー世界の底上げに奔走されているギャラリー側のスタッフの皆さんには
奏者としても毎度頭が下がります。
指導者はまだしも、プロの奏者とは存外無力なもんです。
最近、お邪魔する時に、そのプランニングや準備は勿論、最新の譜面やレアな楽器は
確認しています。常に新しいのが魅力ですね。乗り遅れそうです。
是非、お出かけになって下さい。
アンリュウリコーダーギャラリー・フェア
http://www.a-rg.jp/info.php#in35
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2013年4月6日土曜日
ブリュッヘン プロジェクト
♪
前記、フランス・ブリュッヘンと18世紀オーケストラの最終来日プロジェクト。
プログラムではベートーヴェン、ショパン、シューベルトが選べる日程だったものの、
やはり個人的に、最高峰、と私が最も好んでいるベートーヴェン公演日程で上京しました。
さて、事実に基づき報告を記載してみましょう。
19時の開演時間になり、団員がポツポツと所定の位置に。
5分押しでブリュッヘンが登場しましたが、車椅子での登場に場内でどよめきが起こりました。
介添えの人が車椅子から彼を下ろし、支えながら指揮台の椅子に。
指揮台にある枠につかまりつつ上半身でお辞儀を。その後、着席。
座って指揮することは、例えば晩年のカール・ベームなど高齢等の理由もありましょう。
しかし、足がカモシカの如くで、恐らく歩行は困難。
どよめきには少なからず、あんなにカッコ良かった人なのに、というこちらの気持ちも
あったはずです。
前半の第2番が始まってしまうと、如何に身体で無駄な動きをせずに音楽を表現するか、
のお手本のように、手を少し動かすのみ。ほとんど動きませんでした。
尤も、彼へのリスペクト楽員集団で構成される18世紀オケは、およそ上手とは言えない
そんな指揮でも一糸乱れぬ見事な表現をしていましたから、これも凄いところです。
要は、音楽を物凄い細かいディティールまで作りこんで、それが全団員に完全に伝わっている
であろうから、少しの合図で良い訳で、この集団の何よりの特徴でもあります。
かけがえのない、一生忘れえぬ演奏会だった事は確かです。。
ここからは主観も入りますが、高齢故にか、緩徐楽章ではテンポが少なからず遅くなりがちに
感じました。確かベートーヴェンが示したテンポに対しては非常にそれを重要視していた記憶が
あるだけに、逆に新鮮には感じましたが、交響曲というよりは一種の組曲の構成に聴こえた
感じがします。もちろん
異常に高い次元でですが。
それだけに、既存の指揮者が表現してきた、勢いのあるベートヴェン、あるいは楽章の連続性を
好む人には少々違和感があったのではないかとも感じました。
逆に、ここまで楽曲を作り込むスタンスでは、通常の指揮者では実際的な営業にならないでしょうから、恐らく不可能であり、18世紀オケにだけ許される極上の音楽が生まれる理由でもあるでしょう。
何よりもベートーヴェンが記譜した細かいディティールが通常のオケでは多かれ少なかれ
音響的に少しぼやけますが、そこまで作品の内容を表現出来てしまう彼も彼らも、これこそ
もの凄い事実だと思います。
ピリオド楽器が地味に聴こえる、などは門外漢も甚だしく、例えば、ダイナミクスは当然のこと、
コントラバスやティンパニーの一音にまで総じて完全に意味のある音として鳴り響いていました。
昨春にアムスで聴いたコンセルトヘボウオーケストラのブルックナーはその逆にありました。
いわく、モダンな大オーケストラでもヴィブラートを少なめにして表現されれば、もう全く時代楽器には関係なく、ただただ美しく芸術になるという事。結局はマンパワーと音楽の相関関係なんです。
ブリュッヘンの表現にしても、結局、ベートーヴェンが如何に凄い作品を残したかを
具現して示しているに過ぎず、それこそが真髄でとてもストイックに思います。
だからこそ凄いリスペクトを受け、凄い演奏が可能になるのでしょう。
(リコーダーの後期のCDに残るの彼の演奏も上記同様で、各作品の本質を魅力的に
伝えているという共通点は一貫しています。)
そうすると、綿密な研究とリハーサルを行えば、確かに指をそそっと動かす位で十分に
感動的な表現の場を創りだす事が可能だ、と証明するようなもので、そう言えば、名演奏、
名指揮者は相対的に身体を動かさないですね。ジャズに於けるチャーリー・パーカーも
恐ろしく難しいフレーズを微動だにせずに吹いたりします。
カラヤンなどは舞台ではカッコ良く聴かせる大スターでしたが、リヒャルト・シュトラウスや
ワーグナーのオペラ指揮者としての名声は高かっただけに、適所適切に振り分けていたと
想像出来ます。
いずれにせよ、日本の最終公演、最終の垂涎のベートーヴェン空間を共有出来た事は素敵な
思い出になりました。14年の末辺りまでは特にオランダでは「まだ活動をする旨、HPに記載
されていましたので、士気はおありでしょうが、いささか心配なお姿を拝見した次第です。
付録的な情報も記載しましょう。
まず、ポジティブ版
運気が上がったのか、東京近所の立川に予約をしたホテルではなぜか二部屋分の広さのある、
恐らくジュニアスイートにランクアップされ気分上々。
移動して、会場はB席の会場最後方でしたが、私と妻の両サイドは結局誰も来ないまま!
広々と拝聴、。
ネガティブ版
その妻の空いた席のその隣のサラリーマンらしき兄ちゃんが「いびき」をかき始め、
周りが一気に不穏な空気に。
2番の2楽章に妻がそっと触って注意を促しましたが、始めの辺はその鼻炎の兄ちゃんの
コロコロ音のいびきで集中出来ずじまいでした。悔しく思います。寝るなら来るなよと。
存外、鼻息のうるさい人もいますよね。誰か教えて上げて下さい。くちゃくちゃ食べる人も。
帰りの電車。なぜ、こんなに人間がここにいる(居住)のか、果たしてしあわせか、
という程の大混雑。怒号、不機嫌、車掌まで暗~いアナウンス (゜д゜)
もう少し海外先進国のように国民が分散して生きた方が幸せかと。
ドイツなどは数箇所にうまく都市を分散して国家を成り立たせています。
日本から首都ベルリンへの直行便は未だに無く、金融の町フランクフルトやミュンヘン等に。
特徴を持つミュンヘンやデュッセルドルフ、ケルン、ハンブルグ等に適所適切に特徴を配分
しており、よく考えられていると思います。
話題のスカイツリーはクアラルンプール・タワーそのもの・・・・
まっ、ほうほうのていで帰り着きました。
つくづく関西は全てが程よく、住み良いですわ。
♪
前記、フランス・ブリュッヘンと18世紀オーケストラの最終来日プロジェクト。
プログラムではベートーヴェン、ショパン、シューベルトが選べる日程だったものの、
やはり個人的に、最高峰、と私が最も好んでいるベートーヴェン公演日程で上京しました。
第3番で総勢41人 |
さて、事実に基づき報告を記載してみましょう。
19時の開演時間になり、団員がポツポツと所定の位置に。
5分押しでブリュッヘンが登場しましたが、車椅子での登場に場内でどよめきが起こりました。
介添えの人が車椅子から彼を下ろし、支えながら指揮台の椅子に。
指揮台にある枠につかまりつつ上半身でお辞儀を。その後、着席。
座って指揮することは、例えば晩年のカール・ベームなど高齢等の理由もありましょう。
しかし、足がカモシカの如くで、恐らく歩行は困難。
どよめきには少なからず、あんなにカッコ良かった人なのに、というこちらの気持ちも
あったはずです。
楽団員の写真家による個展も開催されていました。 |
前半の第2番が始まってしまうと、如何に身体で無駄な動きをせずに音楽を表現するか、
のお手本のように、手を少し動かすのみ。ほとんど動きませんでした。
尤も、彼へのリスペクト楽員集団で構成される18世紀オケは、およそ上手とは言えない
そんな指揮でも一糸乱れぬ見事な表現をしていましたから、これも凄いところです。
要は、音楽を物凄い細かいディティールまで作りこんで、それが全団員に完全に伝わっている
であろうから、少しの合図で良い訳で、この集団の何よりの特徴でもあります。
かけがえのない、一生忘れえぬ演奏会だった事は確かです。。
ここからは主観も入りますが、高齢故にか、緩徐楽章ではテンポが少なからず遅くなりがちに
感じました。確かベートーヴェンが示したテンポに対しては非常にそれを重要視していた記憶が
あるだけに、逆に新鮮には感じましたが、交響曲というよりは一種の組曲の構成に聴こえた
感じがします。もちろん
異常に高い次元でですが。
それだけに、既存の指揮者が表現してきた、勢いのあるベートヴェン、あるいは楽章の連続性を
好む人には少々違和感があったのではないかとも感じました。
逆に、ここまで楽曲を作り込むスタンスでは、通常の指揮者では実際的な営業にならないでしょうから、恐らく不可能であり、18世紀オケにだけ許される極上の音楽が生まれる理由でもあるでしょう。
何よりもベートーヴェンが記譜した細かいディティールが通常のオケでは多かれ少なかれ
音響的に少しぼやけますが、そこまで作品の内容を表現出来てしまう彼も彼らも、これこそ
もの凄い事実だと思います。
ピリオド楽器が地味に聴こえる、などは門外漢も甚だしく、例えば、ダイナミクスは当然のこと、
コントラバスやティンパニーの一音にまで総じて完全に意味のある音として鳴り響いていました。
昨春にアムスで聴いたコンセルトヘボウオーケストラのブルックナーはその逆にありました。
いわく、モダンな大オーケストラでもヴィブラートを少なめにして表現されれば、もう全く時代楽器には関係なく、ただただ美しく芸術になるという事。結局はマンパワーと音楽の相関関係なんです。
楽団員の写真家による個展も同時開催 |
ブリュッヘンの表現にしても、結局、ベートーヴェンが如何に凄い作品を残したかを
具現して示しているに過ぎず、それこそが真髄でとてもストイックに思います。
だからこそ凄いリスペクトを受け、凄い演奏が可能になるのでしょう。
(リコーダーの後期のCDに残るの彼の演奏も上記同様で、各作品の本質を魅力的に
伝えているという共通点は一貫しています。)
そうすると、綿密な研究とリハーサルを行えば、確かに指をそそっと動かす位で十分に
感動的な表現の場を創りだす事が可能だ、と証明するようなもので、そう言えば、名演奏、
名指揮者は相対的に身体を動かさないですね。ジャズに於けるチャーリー・パーカーも
恐ろしく難しいフレーズを微動だにせずに吹いたりします。
カラヤンなどは舞台ではカッコ良く聴かせる大スターでしたが、リヒャルト・シュトラウスや
ワーグナーのオペラ指揮者としての名声は高かっただけに、適所適切に振り分けていたと
想像出来ます。
いずれにせよ、日本の最終公演、最終の垂涎のベートーヴェン空間を共有出来た事は素敵な
思い出になりました。14年の末辺りまでは特にオランダでは「まだ活動をする旨、HPに記載
されていましたので、士気はおありでしょうが、いささか心配なお姿を拝見した次第です。
アンコール終演後に。エロイカでフルメンバー41名のオケと車椅子。 |
付録的な情報も記載しましょう。
まず、ポジティブ版
運気が上がったのか、東京近所の立川に予約をしたホテルではなぜか二部屋分の広さのある、
恐らくジュニアスイートにランクアップされ気分上々。
移動して、会場はB席の会場最後方でしたが、私と妻の両サイドは結局誰も来ないまま!
広々と拝聴、。
ネガティブ版
その妻の空いた席のその隣のサラリーマンらしき兄ちゃんが「いびき」をかき始め、
周りが一気に不穏な空気に。
2番の2楽章に妻がそっと触って注意を促しましたが、始めの辺はその鼻炎の兄ちゃんの
コロコロ音のいびきで集中出来ずじまいでした。悔しく思います。寝るなら来るなよと。
存外、鼻息のうるさい人もいますよね。誰か教えて上げて下さい。くちゃくちゃ食べる人も。
帰りの電車。なぜ、こんなに人間がここにいる(居住)のか、果たしてしあわせか、
という程の大混雑。怒号、不機嫌、車掌まで暗~いアナウンス (゜д゜)
もう少し海外先進国のように国民が分散して生きた方が幸せかと。
ドイツなどは数箇所にうまく都市を分散して国家を成り立たせています。
日本から首都ベルリンへの直行便は未だに無く、金融の町フランクフルトやミュンヘン等に。
特徴を持つミュンヘンやデュッセルドルフ、ケルン、ハンブルグ等に適所適切に特徴を配分
しており、よく考えられていると思います。
話題のスカイツリーはクアラルンプール・タワーそのもの・・・・
まっ、ほうほうのていで帰り着きました。
つくづく関西は全てが程よく、住み良いですわ。
♪
2013年4月3日水曜日
最終公演を聴きに
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フランス・ブリュッヘンと18世紀オーケストラが最終の日本公演を行うため、聴きに行く事に
しました。クライバーなどに比べれば指揮の技術はさほどのものでは無いと思いますが(主観)、
徹底的に研究された古典音楽の表現には凄まじい表現力があり、技術を補って余りある
音楽家として、リコーダー演奏同様に,天才の域であることは疑いない事でしょう。
最近は来阪公演もないため聴く機会も少なく、20年ぶり程になり、わざわざ上京します。
この人の音楽感は常に研究と進化が共存して表現されるため、リコーダー奏者だった頃の
音源でもその興味深さがうかがえます。
今回はドストライクのベートーヴェンを聴きますが、いみじくも最近グロッサ・レーベルから
発売された全集は、20年程前に録音されたフィリップス盤に比べて、随分と変化したもの、
と驚いたものです。リコーダーも60年代と72年位以降の音源では別人のようですが、同様です。
CDでは、18世紀オケ創設期のストイックさが随分と緩んで、古楽としてで無くとも随分と聴きやすく、
幅広く受け入れられる音楽に変わって来たように思いました。
加齢による最終来日は寂しい限りですが、80ともなればそれも納得出来ましょうか。
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フランス・ブリュッヘンと18世紀オーケストラが最終の日本公演を行うため、聴きに行く事に
しました。クライバーなどに比べれば指揮の技術はさほどのものでは無いと思いますが(主観)、
徹底的に研究された古典音楽の表現には凄まじい表現力があり、技術を補って余りある
音楽家として、リコーダー演奏同様に,天才の域であることは疑いない事でしょう。
最近は来阪公演もないため聴く機会も少なく、20年ぶり程になり、わざわざ上京します。
この人の音楽感は常に研究と進化が共存して表現されるため、リコーダー奏者だった頃の
音源でもその興味深さがうかがえます。
今回はドストライクのベートーヴェンを聴きますが、いみじくも最近グロッサ・レーベルから
発売された全集は、20年程前に録音されたフィリップス盤に比べて、随分と変化したもの、
と驚いたものです。リコーダーも60年代と72年位以降の音源では別人のようですが、同様です。
CDでは、18世紀オケ創設期のストイックさが随分と緩んで、古楽としてで無くとも随分と聴きやすく、
幅広く受け入れられる音楽に変わって来たように思いました。
加齢による最終来日は寂しい限りですが、80ともなればそれも納得出来ましょうか。
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